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このページでは、スペクトラムの思い出やエピソード等々ご紹介していきたいと思います。
 
  1. コスチュームの話  by ひろみ
  2. 武道館バスツアー:1981・9・22(その1) by くらちゃんパパ さん  
  3. 武道館バスツアー:1981・9・22(その2) by くらちゃんパパ さん  
  4. 関西のライヴ・その1  by くらちゃんパパ さん
  5. 関西のライヴ・その2  by くらちゃんパパ さん
  6. キンキラのド派手な衣装の想い出 by Cocktail さん
  7. 青春の素敵な思い出 メールより by aita さん
  8. 忘れられないレコーディング メールより by じゃみら さん
  9. アクト・ショーの録音 掲示板より  by naomi さん
  10. 1979年赤ん坊だった私がなぜスペクトラムにはまったか! by ソアラ さん
  11. すべてはアクシュから 〜メールより by MOKOさん
  12. スペクトラムが聴きたくて・・・ 〜メールより by まりんさん
  13. はじめてのスペクトラム メールより by 愛子さん
14. 広島郵便貯金快感・・・? by エンジェル・ギャング さん

15.

初めまして・ありがとう メールより by かずこ さん

16. すべてのルーツ・スペクトラム  by ラナ さん
17. ビックリな出会い掲示板より  by ママ先生 さん
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1. コスチュームの話  by ひろみ
   

 スペクトラムといえばあのキンキラのド派手な衣装ですが、当時、総額1000万円なんて言われて話題になりました。
知らないかたの為に、どんな衣装かというとベン・ハーという映画に出てくるような鎧甲です。
あれに似たものを中心にメンバーそれぞれが違うデザインの衣装を着ていました。
キンキラバージョンは2種類あって一つはカラフルなもの、もう一つは白と金で、どちらも派手です。 
 こんな衣装ですが、元々は新田さんと渡辺さんのジョウダンから生まれたものなんです。二人でお茶を飲みながら話していた時に出てきたアイデアを事務所の社長にしたところ、はじめはバカだな、なんて言ってたのに1週間後には先頭切って話を進めていたらしい。
それから急いでデザインを決めたりして、ナント2週間で作ってしまったそう。鎧甲(よろいかぶと)の型代やメッキ代などが色々かかり総額1000万円になってしまったようです。
 ジョウダンを本気でやろうとする彼ら、それをバックアップする事務所、それが無かったらあのキンキラ衣装を、私たちは目にすることが出来なかったんですね。                              

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2.

武道館バスツアー:1981・9・22(その1)  by くらちゃんパパ さん
   
 大阪の上六から朝出発でした。
 その日はホント良い天気で、当時体育委員だった私は当日の体育祭の全校生徒の前でラジオ体操する予定だったのですが・・・(^^;)
 その旨、同行のアミューズの方がスペクトラムのメンバーに伝えてくれて、皆笑って喜んでくれたというエピソードがあります。

 個人的にも初めての東京でした。
 道中道が結構混んで、到着がぎりぎりだったと覚えています。

 参加プレゼントの名前入りのビニールバック>正確にはLP入れ(死語?)ありましたねー・・・カタカナで個人名書いてくれたんですよね。

 品プリに泊まって、恥ずかしながら後日出発までの自由時間は三鷹のランちゃん(といっても、皆分かりますよね?)宅に、唯一もう一人のラン
ちゃんフリークの男子高校生と一緒に行きました。  ただ家を見に行っただけですけど・・・(^^;)
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3. 武道館バスツアー:1981・9・22(その2)  by くらちゃんパパ さん
 今回のバスツアー参加の面々は、殆どの方が大阪フェスでのファイナルライブを見届けてから武道館に行ったという強者(^^;)ばかりだったのですが、私はあえて大阪のライブは観ずに武道館のみの参加でした。 (今にして一番の心残り) 

 帰りの車内で、同行のアミューズの方の第一声が、昨夜のライブはどうでしたか? というおきまりの質問には以外にも・・・
『大阪のライブの方が絶対に良かった!』 という意見が大半でした。

 なぜなら、武道館ライブに行かれた方は良くご存知だと思われますが、武道館のライブではPAの調子が非常に悪く、冷静に考えても本来の聞かせるライブではなかったように思えたからです。 
 (武道館ライブのCDを良く聞くと、確かに最初のメドレーでも全然ボーカルの声が聞こえてないところや、ハウリングの音が沢山入っているところが多々有り。)

 ですから、音楽的ライブの完成度としては、大阪フェスのファイナルの方が完璧で、こちらこそ伝説である! というのが関西のファンの暗黙の了解なんですよ。

 バスも段々大阪駅に近づくと(確か解散場所は大阪駅だった筈)
皆いい感じで連帯感が生まれて、自然にバスを降りたら記念撮影みたいになってましたね。

 今にして思うと主催者のアミューズから集合写真くらい撮って全員に配布して欲しかったんですけど、後日LPジャケットの裏を見て驚きました。
 しっかり我々ツアー参加者の席の辺りを写してくれてたんですよね。 私も叫んでるところ、小さく写っています。
 粋な計らい感謝しています。 
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4. 関西のライヴ・その1  by くらちゃんパパ さん 
  悲しいかなどうしても懐古主義になってばかりで・・・m(_ _)m 
(えっと別にいいんですよね?)
 個人的に昔のライブがトラウマ(^^;)になってますから仕方ないですが、今回もそんな話を・・・・

 新田さんや慎嗣が関西出身ということもあり結構大阪のライヴは張り切ってたように思います。
 それと良く明石屋さんまが飛び入りで出てきて、会場を盛り上げたこともありましたっけ(セカンド・ナビゲーションツアーだったかな? いつも来てたような・・・?!)

 タイムブレイクツアーでの『あがき』の生演奏には本当に感動したものです。
 そこで新田さんが演奏後『どうだ、凄いだろう!』ってなMCに客席の私の友人が『ようやった!』(大阪弁)と大声で返し、新田さんが笑いをこらえて、なかなか次の曲にいけなかったというエピソードがあります。(^^) (場内勿論大爆笑)
 順次メンバーが会場に降りて、観客をステージにあげるコーナーなんかもありました。  上がりたかったなあ!(^^)
 ではまた! 
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5. 関西のライヴ・その2  by くらちゃんパパ さん
 メンバーが曲の間にリズムを取りながら会場に降りて観客を上げるコーナーがあったと前回紹介しましたが、大概その時タンバリンを叩かせてたように思います。 (曲名はトマトだったか?思い出せない) でそのタンバリンには確かSPECTRUMのロゴが入っていて、それを記念にプレゼントしてくれたような記憶があります。

ある日のライブで、丁度男子高校生がステージに上げられ、新田さんからマイクを向けられました。
新田:『名前は?』 
彼:『渡辺直樹!』(場内爆笑) 一瞬新田さん怯む(?)
彼:『ベースやってるねん!』
新田:『じゃ、弾いてみて』 で、彼が少し演奏。
お世辞にもあまり上手とは言えなかったにも関わらず、当の直樹や他のメンバーは笑いながら暖かく拍手を観客に求めていたのですが、 新田さんだけのリアクションが・・・
新田:『何年弾いてるの?』 
彼:『3年!』
新田:『ふーん、3年でそんなモン・・・』

と冷たーくあしらったのが印象的でした。 一瞬冷酷人間か?(^^;) 
それとも自分より目立つのが気に入らなかったのかなあ?(^^;)
なーんて思ったのでありました。
 
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6. キンキラのド派手な衣装の想い出 by Cocktail さん
 あれは忘れもしない武道館での解散コンサートの日、私はコンサート開始前の前座として、3階席(だったっけ?)に陣取った大ブラスバンドの一員としてIn TheSpace等を演奏しておりました。

これは、当時(私は高校1年)「バンドピープル」という雑誌の呼びかけで、原宿の竹の子族に対抗してブラスバンドのパフォーマンスをやろうという集まりが有り(吹奏族などと称しておりました)、各地から人が集まって演奏をやっていた時に、アミューズの方が来て、今度スペクトラムの解散コンサートが有るので、前座をやってくれないか、とのお誘いが有り、私は喜んで参加をしたのです。(他にも大学のバンド等も来ていました)

コンサートはそれは感動ものでしたが、私と友人は大胆にもコンサートの後にバックステージに潜入し、メンバーにサインを貰おうとしていました。あいにくメンバーの皆さんは、記者会見をやっている最中(確かキャンディーズのメンバーも居た様な・・・)で会うことは出来なかったのですが、ふと周りを見ると、ステージ衣装が並べて置いて有りました。私が猛烈に感動し、思わず触ったことは言うまでも有りません。

良く見ると、あのキンキラのメッキされた衣装は、ステージでの酷使のせいか、所々割れており、ガムテープで止めている所も有りました。カメラを持っていなかったので、今では記憶の片隅にしか残っていませんがそれでも私にとっては良い想い出です。
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7. 青春の素敵な思い出 メールより by aita さん
はじめまして、私も20年前スペクトラムが大好きでした。
今日偶然このホームページを見つけてびっくり、今でもおスぺファンがいるとは…
私にとっては過ぎ去った青春の良き思い出なのですが、現在進行形でがんばってる方もたくさんいらっしゃるなんて、ほんとすごいの一言です。アルバムはもちろん全部とってありますしファンクラブのチャームも今も持ってますよ。
夜行列車に乗って仙台から東京にコンサート観に行ったり、ファンの集いで握手してもらったことやその時すごくメンバーの物まねが上手な子がいてすごく盛り上がったことなどいろいろ思い出します。
別に寄るわけでもないのに代官山のアミューズのドアの前まで何度か行きました。若い時ってアホですよね。
私がスペクトラムを知ったのは父が松下電気関係の仕事してたのでテクニクスの宣伝の為のコンサートを仙台でやったのを偶然観に行ったのが最初でした。最初は一緒に行った妹に、なんか衣装に負けてるとかえらそうに言ったみたいですが、気がついたら虜になってました。
私的には豆粒のように小さくではありますが解散のときのプログラムに写っていたことと、その時のライブアルパムにまたまた豆粒のように写っていたことでもうファン冥利につきると思い自分をなぐさめていましたが、あれ以来バンド系のファンには二度となるまいと心に誓いました。
解散宣言を聞いたあの厚生年金でのコンサート、ほんと悪夢でした。友達と二人ほとんど口もきかずに仙台まで帰ったっけ。
その後は西さんや新田さんのライブにもちょこっと行ったりオムクラにも入ったりしましたがやっぱり私が好きなのはスペクトラムだったのでその後は自然とフェイドアウトしてしまいました。
最後にひとつだけ今も時々思い出すことがありまして、それは20年前のクリスマスに仙台ですごい大雪が降ったことがありましてその時スペクトラムのコンサートがあったんです。その時はコンサートが中止になるんじゃないかってすごく心配したんですがなんとかメンバーがたどりついて無事コンサートができたんですね。その時のことスペクトラムの方たちは今も覚えているかなぁ、って時々思うんですよ。
懐かしさのあまりついついダラダラと書いてしまいましたが、20年ぶりにスペクトラムのことを思い出せてほんとうれしかったです。ありがとうございました。これからもがんぱってくださいね。
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8. 忘れられないレコーディング メールより  by じゃみら さん
 本当に、本当にビックリしてしまいました。 パソコン、ネット初心者の私がふと、おもいたって「スペクトラム」という言葉を 検索したら、こんなにたくさんの人たちがまだ、おスペのことを 熱く語っていたなんて!! 久しぶりにしまいこんであったコンサートのパンフなんかを ひっぱり出してきて、20年前にタイムスリップしてしまいました。
そして、あの日のことをおもいだしたのです。

1981年6月27日、午後8時30分  突然の電話。 「スペクトラム・チアリングハウスのものですけど・・・・・」 話の内容は、現在企画中の5弾目のアルバムのバックコーラスにファンを20人いれることになって、その20人にわたしが選ばれたというのです!! あまりにも突然で、信じられなくて、もしかしたらサギじゃないかと うたがったほどでした。

  そして、 1981年7月1日、午後4時30分、市ヶ谷駅前で待ち合わせをして、いざ スタジオへ。
スタジオの中には、新田さんとドンペイさんと吉田さんがいました。 バックコーラスといっても、いろいろなかけ声や拍手なんかだったけど、 それでも夜の8時過ぎまでかかりました。 なれないことで、何度もやり直したりとても疲れたけど、 メンバーの3人がとても楽しくて、本当にアッというまに時間がすぎました。 最後に記念写真もとって、サインももらいました。 記念写真のほうは、どうなったか覚えてないけど、サインはちゃんと まだ、このてもとにあります。色紙が黄色くなっていて20年の歳月を感じるけど。 この日のトキメキはいまもまだ、ハッキリと残っています。
  ただ、この4日後に行ったコンサートで「解散宣言」を聞いたときは 耳を疑ったけど・・・・・  会ったばかりなのに解散するなんて 信じられなかった。そんなこと一言もいってなかったから。

  スペクトラムとすごした2年間は私のいままで生きてきた人生の中で かけがえのない時間でした。 そして、また、いま、こうしてスペクトラムについて話ができるなんて 夢のようです。明日は久しぶりにカセットでもきいてみようかな!     
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9. アクト・ショーの録音 掲示板より  by naomi さん
私がスペクトラムを初めてじかに聴いたのは、青山のビクタースタジオでした。当時、高校2年の私は中学校3年の妹と共に道に迷い、やっとの思いでたどり着くとなんと一番乗りでした。
早すぎたため、外で入れてもらうのを待っている間、岩崎宏美と森進一を見て中に入るとサザンの(松田)弘くん(すいません/なれなれしいですね/好きなので)がいてびっくり!帰る時に、勇気をだして握手してもらいました。
桑田さんのオールナイトニッポンで知ったライブ録音でした。応募したものの返事がこなくて、あきらめきれない妹(この時だけなぜか積極的だった)が電話してみたら軽く「あ〜。来て下さいよ。」と言われて、学校帰りに行ったのでした。
スタジオに入る時、2番目にきたおねえさん(古くからの直樹さんファン)が「真ん中は、ここだよ。新田さんはここ!」って教えてくれて1番前の真ん中で立ってみたのです。
ガーン!生はすごかった!びっくり!これがイン・ザ・スペースのB面の「アクト・ショー」です。「アクト・ショー」のあと「トマト・イッパツ」そしてMCが入り「ロリータ」を演奏してくれました。「ロリータ」の前のMCで新田さんが「次の曲にはいろんなアレンジがあって、女の子バージョンとか男の子バージョンとかがあるんですが、今日は○○バージョンでやります」って言ってました。(すいません。かんじんの何バージョンだったかは忘れました)
ちなみに登場したときを想定して歓声の練習?がありましたよ。弘くんとマナさんがでてきて「口笛ができる人はやってください」とか「拍手はこのくらいで」とか。来ている人も一般のファンは少なかったと思います。(妹がたぶん最年少だった)今思うと見に行けたのが不思議です。「イン・ザ・スペース」が発売になって、B面を聴いたときに「あ〜これだ!」って感激しました。


まるで昨日の事のように脳裏に焼き付いています。でもあれから22年もたっているのですね‥‥。(遠い目)
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10. 1979年赤ん坊だった私がなぜスペクトラムにはまったか! by ソアラ さん
スペクトラムとの出会いは忘れもしない高校一年、1995年5月、赤坂泰彦氏の「ミリオンナイツ」というラジオで「トマト・イッパツ」がかかった時でした。偶然録音していて何度も聞きました。最初は「ホーンがかっこいいなぁ〜」と思ったのと、ボーカルは女性だと何の疑問もなく思っていました。(笑)
それから半年後、やはり「ミリオンナイツ」で今度は「なんとなくスペクタクル」がかかり、これも赤坂氏曰く「レアな曲」というのでこれも偶然録音したのですが、まさか「トマト・イッパツ」の人たちと同一バンドとは夢にも思わず(笑)テープを何度も聞いて初めて気づき、「スペクトラム」というバンドに興味を持ち始めたのです。
ただなにも情報もなく、分かることは「今はないバンド」ということと「『何となくスペクタクル』を聞いた限りでは1980年始めに活躍していたバンド」ということだけ。とりあえず、古レコード屋に走りました。
そこで見つけたのは「オプティカルサンライズ」「タイムブレイク」、「インザスペース」と「サンライズ」のシングル版。迷わずすべて買って、聞きました。「かっこいい!すごい!」新鮮で衝撃的な音とジャケットに写るメンバーにすっかり心奪われてしまったのでした。そしてスペクトラムが全員男性だったという事実に、大変驚きました。(笑)
その後、「ミリオンナイツ」(当時約半年ごとのペースでスペクトラムがかかっていた)や他のラジオでスペクトラムがかかるたび、飛びついて録音したり、CD屋に足を運びアルバムがすべてCD化されてるのを知ったと同時に、全財産はたき更には友人から借金までして(笑)揃えたり、古本屋で古い音楽雑誌を探し、少しでもスペクトラムが載っていたら買ったり、友人たちにわざわざテープを作って、「うちらが生まれた頃にこんなかっこいいバンドがいたんだよ!」と布教したりと、きっと当時全国の高校生で一番スペクトラムにはまっていたのは、私しかいないと今でも思います(笑)

メンバーが解散後どんな活動をしているかとか、地道な調査(笑)や偶然が重なったりして知ることもできた高校三年のある日、事件は起こりました。
当時、嘉門達夫さんも好きだった私は北海道では聞けないので(私は道産子)、新潟の友達からわざわざ嘉門さんのラジオを録音して送ってもらっていたのですが、そこで嘉門さんといっしょに喋っていた「フーリューズ(その昔「いんぐりもんぐり」というバンドだった)」が札幌にイベントで来るということで、見に行くことにしました。テスト明けでボーっとしながら、イベント会場のCD屋で待っていると「今日は宜しくお願いします。」と少々ハイトーンな声が・・・フッ振り向くとそこには・・・・・どう見ても新田さんがいるのです!ジャケットよりはちょっとお年を召して(笑)いましたが、紛れもなく新田さんなのです。頭が真っ白になり、その場に立ちつくしました。スペクトラムが解散して当時16年。絶対メンバーに会えるわけない、と思っていましたから。
我に返り、勇気を持って近づき「新田さんですか?」と話しかけました。「そうです。」「!!!!!!!!!」「わ、私スペクトラムのファンで・・」「若いのに何で知ってるの?」「ラジオで聴いたんです!」イベント前で忙しかっただろうにも関わらず、新田さんは優しく話を聞いて下さり、握手と私のチンケな手帳のメモ帳に「Spectrum
  nitta ichiro」とサインをしてくれました。色紙でも用意すればよかったのでしょうが、全く不測の事態だったので・・・新田さん、ごめんなさい(笑)今でもそのサインは大事に持っています。友達も「すごいーーーーー!」と驚いていました。

あれからもうすぐ5年。やっとビデオも手に入れ、映像と音楽が繋がり「スペクトラム」というバンドに一層惚れました。
そうそう、新田さんに会ったときに「ビデオがどうしてもないんですが、どうしたら手に入りますか?」って聞いたんだっけ。新田さんは「ここに聞いてみたら?」とビクターの電話番号を教えてくれたのです。でも、そこにかけても「在庫がない」って言われてほとんど諦めていたのでした。事もあろうに、ご本人に「ビデオないんですが」なんて聞く私も大物??(笑)
これからも、私に希望と活力と青春をくれたスペクトラムを愛していきます!


 

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このコーナーに掲載する、スペクトラムとの
思い出やエピソードを募集しています。
楽しいお話を聞かせて下さい。
メールをお待ちしていま〜す。


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